【1】山崎という土地  
【2】路次の者のお仕事
【3】「御所役人」の謎
【4】江戸のお買い物ガイド
【5】メキシコ銀貨雑考(正・続)
【6】「徳川埋蔵金伝説」の正体? 
「初春弁才船」収録の「桃の花咲く寺」に「青山権田原は紀州家上屋敷の西方で、この節は鮫が橋と御炉路町・甲賀町との間がそう呼ばれている」という箇所があります。
「御宿かわせみの世界」掲示板で、点訳ボランティアをしている方から「御炉路町」の読み方の質問があったのをきっかけに、「炉路の者」という職業?が謎のままペンディングになっていましたが、この「炉路の者」の仕事内容がわかったので今回はその話をさせていただきます。

昨日(八月二十六日)渋谷のデパートの古本市に立ち寄り出物がないか、漁ってみた中に「武家編年事典」(稲垣史生編・青蛙房)という本があって、索引に「路次の者」が載っていました。(201頁より)
これは、万治二年(1659年)の項目なのですが、この年初めて茶坊主条目(内容から察するに服務規程のようなものでしょうか)が出されています。原文では何十か条にも渡る条文が書かれていますが、「路次の者」に関するところだけ拾ってみました。

一、 路次の者(掃除、茶道具運搬の係)の頭は日毎に一人づつ出て、路次の掃除並に、御勝手のこと心入れて申し付くべし

一、 茶部屋は勿論、路次の者部屋並に、数奇屋方(茶坊主)支配の所々火をいましめ、火の番坊主、昼夜見廻り怠るべからず

一、 当番の判形を点検し、数奇屋坊主は勿論、路次の者に至るまで、日毎にこれをあらたむべし

一、 御勝手にて声高く雑談すべからず。大広間、黒木、白木両書院へ出御の時は、殊につつしむべし。路次の者を番に付置き、出入りの輩の高声をも禁ずるべし

「路次の者」の仕事は主に掃除、茶道具運搬、火元注意など、茶室関係の裏方を引き受けていたようです。

「桃の花咲く寺」では、御炉路町という表記になっていて、以前私の見た切絵図では、御路次丁という表記になっていました。近所の図書館の閲覧室にあった角川の「日本地名大辞典」では「御炉路町」の表記で、今のところこの漢字を使っている資料は他に見あたらないようです。ひょっとして平岩先生の参考にされたのもこれなのでしょうか?
「ろじのもの」の表記も文献によって「炉路の者」「露地之者」「路次の者」と違う字を使っているのも、よくあることだったのでしょうか?

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