某テレビ局で時々特番で放送されていた「徳川埋蔵金伝説」というのをご存知でしょうか?
幕府崩壊時に元勘定奉行の小栗上野介(本家掲示板に「かずちゃん」様が書き込まれていたNHKの正月時代劇「またもやめたか、亭主殿」の主人公)が、引退先の上州に幕府再興の為の軍資金を埋めたという伝説です。
恥ずかしながら麻生が始めて小栗上野介という人の存在を知ったのは「徳川埋蔵金」の特番でのことでした。その時の感想は「そんなお金があったら幕府は倒れていないし、あればとうに使っているはずだし」でした。(身も蓋もない性格なもので)小説などで、小栗が謀反人のかどで処刑されたのは、第二次長州征伐の時に軍資金調達の為に勘定奉行をしていたためだという話が書かれていますが、理由として弱いような気がします。軍資金捻出のための勘定奉行ってそんなにうらみを買うものでしょうか?
たしかに、江戸無血開城の時に徹底抗戦を主張したという話もありますが、田舎にひっこんだ後まで追いかけて処刑されなければいけないのでしょうか?
小栗本人が処刑された後に、養子の又一まで殺されています。(実子でもないし、養子になったのは引退する直前で期間も短いのです)
妻や遺児があちこち逃げ回らなければならないのは何故だったのでしょうか?
恨みを買うことでいえば掛川藩など「禁門の変」の後で、江戸の長州藩邸にいた藩士を多数預かって死なせています。それなのに掛川藩に報復をしたという話を聞いたことがありません。(私が知らないだけでしょうか?)
色々考えていて、はたと思いついたことがあります。笑ってしまうような想像ですが・・・
NHKブックスから三上隆三著「江戸幕府・破産への道」(平岩先生はこれをもとに「メキシコ銀貨」をお書きになっていると思われます。それについてはいずれ書きたいのですが)という本が出ているのですが、この終章に幕府が金銀を使い果たしたと書かれていました(196頁から197頁)。
「倹約家の吉宗らによって大法馬(法馬=分銅)金銀として備蓄されていたものもすべて消費されてしまい、江戸城開城によって、大法馬金ありと思いこんで薩長軍がイの一番に突入した御金蔵なのに、そこが空であったことがなによりの証拠であろう。」というものです。
その時、薩長軍は御金蔵が空であるのに納得できず(相当中身をあてにしていたのでしょう。財政難はお互い様だったということです。)「中身を誰かが持ち出したに違いない」→「勘定奉行で田舎に引っ込んだ小栗が怪しい」→「幕府再興の為の軍資金としてしまいこんだに違いない」という結論に至ったのではないでしょうか?
なまじ、勘定奉行として有能で資金調達をなんとかこなしてしまうために「奴にはものすごい資金源があるに違いない」とかいう過大評価がついてしまったのでしょう。
実際は、彼の資金調達の力は「勘定奉行」の役職についてこそのもので、御役を離れた一旗本としての彼の調達できる金などは、たかが知れていたはずですが・・・(フランスなどからの借金)
おそらく、新政府側は小栗に「御金蔵の中身をどうした?」とでも聞いたのではないでしょうか?
小栗としては「はあ?」とリアクションするしかなかったはずです。
彼が処刑されたのは、「幕府再興の軍資金を隠匿している→謀反」という短絡的な理由づけによる八つ当たりに近い物だったのではないでしょうか?
養子の又一が殺されたのも彼が、埋蔵金のありかを知っているかもしれないと思って追い掛け回したあげくのことだったのではないでしょうか?
未練がましく、小栗の家の周辺を穿り返したりしたかもしれません。これが、後になって「徳川埋蔵金伝説」になっていったのではないでしょうか?
ドラマでは、勝海舟が小栗にフランスへの亡命を進めるシーンが出るなど、彼の立場が危ういものであることを暗示していますが、本当に当時小栗の命が危ないと周囲が思っていたのでしょうか? 私はこれには疑問を覚えます。
そのころ、小栗は養子・養女を迎えていますが、彼等の実家が縁組を断ったり、離縁を求めるはずです。その頃は、誰も小栗が新政府側に処刑されることなど考えなかったと思うのです。引退して田舎にひっこんで、過去の人になると思われていたのではないでしょうか?
このシーンは、後に彼が処刑されたために、「当時から彼が危険に晒されていたかのように思われていたはずだ」という考えから作られたものではないでしょうか?
第二次長州征伐の時の勘定奉行だったのが、薩長に忌避されたために処刑されたという説も、それぐらいしか理由が思いつかないから出てきた説ではないでしょうか?
おそらく、遺族も「何故自分達がここまで追い掛け回されるのか」わけがわからなかったはずです。これが、明らかにされないのは「実際はこうでした」と公表するのは恥ずかしかったからではないか?と思うのです。
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