― その4 ―

コース:


第1日:
関町(三重県)―上野市
―笠置
―岩船寺・
浄瑠璃寺・
新薬師寺・
薬師寺


第2日:
平城宮跡・
秋篠寺・
上津屋流れ橋・
上加茂神社・
建勲神社


第3日:
金閣寺:
大覚寺





薬師寺のある近鉄西の京駅から西大寺方面へ向かうと、濠に浮かぶ垂仁天皇陵。
当たり前の話だが、奈良はそこらじゅう古墳・遺跡がある、いつか薬師寺の方の話だったか、奈良の町は何処を掘っても何か出てくる、その上に今があるのだからあたりまえだが、いざ何かを建てようととするとやたらに色々出てくるのでかなわないと嘆いておられた、発掘はお金がかかる、その上その費用は地主持ちなんですから…

平城宮跡に朱雀門を見に行ったのだが、駐車場への道を一本違えて遺構展示館の駐車場に入ってしまった。この偶然が思わぬ展開となり、ボランティアガイドの方がお声をかけてくださり、ここの説明を受けることができた、朝早くからにもかかわらず色々説明して下さった。
最後にどちらからおいでで?と聞かれ、佐原真さんの佐倉のお隣の成田市からです、回りくどい言い方をすると、佐原先生の地元ですか?と聞かれた。
そうです、つい最近亡くなられた橿原考古学研究所の所長もしていらした先生の近く??だったんですねぇ訃報を聞いて知ったくらいで申し訳ないのですが…

しかし再現された朱雀門で叔母が舞うのをテレビが中継していました、朱雀門から真っ直ぐ北に今は大極殿を建てている。
ワタシテキニは、ここはただただだだっぴろい空き地のほうがいにしえの都のイメージとしてはいいのだけれども。
大極殿は都が変わるたびに解体され次の地へ運び出され又戻りとやっていたなんて話を聞くと、まぁなんてのんびりしていたのか?とも思ったが、立派にリサイクル?していたんですね。それだからこそ発掘をしても資料となるものは少ないのだそうだ、つまり何から何まで持っていくので、こわれた瓦だのばかりが残された。考古学は難しくてややこしい。
一面草におおわれたこの広さがうらめしくもある、このままの保存は難しいのかな?再現して分かることもあるんだろう。

ここはすぐ近くに法華寺がある、ここは行ったことがあるので又ってことにした。先生が私によく似ているという十一面観音像・何故似ているかって?おそれおおいことで・・ちがいます、顎の下の部分だそうです!!!

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