味方團の「海士」

女は待っている。我が子が帰って来るのを。
子の父たる夫は計算ずくで女を抱いた。女は母になり、女としての恨みは、母の愛へと姿を変えた。女は夫を待ってはいない。ただ我が子が帰って来ることだけを待っている。
そして、我が子が帰って来る。女が望んだとおり、夫の後を継いだ大臣として。
女は子の弔いによって成仏する。龍女となって、成仏するという法華経の徳をたたえながら。

母の愛、女の恨み、成仏の望み。
女の恨みは「海士」では触れられていない。ただただ母の愛と成仏への望み、そして二つながらに叶えられた悦びを舞う。だが尋常では考えられない、掻き切った乳の下に宝珠を隠して海上へ浮かび出るという行為の源には、宝珠を取り返すために海女である自分を抱いた男への深い思いが横たわっているのではないか、味方團の「海士」にはそう思わせる色気があった。
再会した我が子へほとばしる情愛がほんのりと艶をひそめて舞台にたゆたう。決して恨みはどろどろと地を這うようなどす黒さを持ってはいない。ただ、男が抱いた「海女」はただの道具などではない、血がかよった女なのだと訴えかけるつよさがある。
そして、女は成仏する。法華経では、女は女のままでは成仏できないとされ、龍女と変成してはじめて、悟りを得るという。後シテはその悦びの表現に終始するが、果たして女は、本当に成仏したか? 望みはそれだけなのか?

味方團の「海士」には色気と同時に思い切りのよさとも言える切れのよさがあった。
美しく上品に、そしてつよく。それは、まことに心地よく私の胸に落ちてきた。母の愛と成仏という法悦を美しく現前させてあまりある。これで良いのかもしれない。

「海士」あらすじ

藤原の房前の大臣(ふささきのおとど)は、自らの出生の秘密を知り、本当の母の追善に讃岐・志度浦、房前(さぬき・しどのうら ふさざき)を訪れる。
そこで出会った海人に、昔話をきく。
その昔、房前の大臣の父・不比等の大臣は、志度浦で龍宮に奪われた宝珠を取り返しすためにその地の海人と契って房前の大臣をもうけたのだという。宝珠は不比等の妹が嫁いだ唐の太宗皇帝から興福寺に贈られた三つの宝珠のうちのひとつ「面向不背の明珠」を龍宮から取り返せば、海人の生んだ房前を不比等の跡継ぎとする約束を取り付けた海人は、短剣を持って海へもぐっていく。
珠を取り返した海人を海龍が襲うが、死人を穢れとして嫌う龍宮のしきたりを知っていた海人は、乳の下を掻き切り、そこへ宝珠を隠して倒れ伏して難を逃れた。
あらかじめ腰に結びつけていた縄を引いて合図をし、引き上げられた海人は、不比等に宝珠を返して事切れたのだ、と海人は房前にまるで見てきたように語るのだった。
身分を明かした房前に「私こそがあなたの母、あの海人の霊なのだ」とあかし、弔ってくれることを頼んで消える。房前は、夜をかけて法華経を唱え、母の冥福を祈っていると、龍女となった母の霊があらわれ、法華経の徳をたたえ、女性は、龍女となって成仏するという法華経に従って、成仏出来たことを告げ、悦びの舞を舞いつつ消える。

※ 宝珠を取り返すさまを演じる箇所は「玉之段」といい、美しい旋律と詞章、舞の美しさで、それのみを囃子と謡だけで演じる「舞囃子」の形式でもよく演じられます。
※ 房前大臣のように身分の高い登場人物、たとえば帝・義経などは子方と称して子供が演じます。

 

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