片山清司の「葛城」

葛城山の神は男性であるという。古事記には雄略記に一言主神(大物主、オオクニヌシノミコトとも)とある。
だが能「葛城」の葛城山の神は女性である。
それも人間に頼まれた仕事を、顔が醜いからといって夜しかやらないが故に進捗が芳しくない。それを責められるのである。

能「葛城」では女神を醜くは描写しない。美しくゆったりとした所作の中に気品を漂わせた美しい冬の能である。

小書「大和舞」では赤く色づいたツタを天冠の上に懸けて、神楽を舞う。作物に懸けまわされた白い布が取り去られ、女神がひと足作物を踏み出すと、鮮やかな色彩がほとばしる。
雪の下に生命を秘める自然の力を表現しているのかもしれないとさえ思う。ああ、母なのだ、とふいに思い到る。
女であり母である神、地母神はいたるところで伝説を残す。日本だけではない、中国にもギリシアにも北欧にも。

片山清司が舞う「葛城」はただ美しく優美にそこにある。
男性である役者が女性を演じる背反を至高の美「花」とする能は、余計なものを削ぎ落として、ただ一途に表現したいものだけを抽出する。
「美しいもの」、それは能「葛城」においては、醜さをはじらう女神の一途さと自然の営みの不思議さなのかもしれない。

「葛城」あらすじ

出羽の羽黒山から大和の葛城山に到着した山伏たちは、大雪に立ち迷っていると、笠を被って枯れ枝を手にした山女が現れて庵に案内する。山女は火を焚いて山伏たちをもてなし世の無常を語る。
山伏たちはやがて夜の勤行を始めるが、山女は、自分は葛城山の神だがこの山に岩橋を架けることが出来なかったために明王の呪縛を受けているのだ、と語って加持を頼んで消えていく。
なおも山伏たちがお勤めを続けていると、女神が現れて、役行者が山と山に岩橋を架けるように命じたにもかかわらず、醜い容貌を恥じて昼間は仕事をせず、夜だけ仕事をしたがゆえに、岩橋の完成が遅れたことを罰されたのだと語る。女神は繰り返し蔦蔓のいましめと醜い容貌を恥じ、昔を懐かしむ大和舞を舞う。
さらに月下に輝く白い山並みを描き出し、自らの醜い顔を見られないうちにと、夜の明け染める前に真っ暗な岩戸に再び帰っていく。

※ 能には小書といって特殊演出がある曲があります。舞が変わったり、囃子が変化したり、詞章が変わったりします。同日にかかる他の曲によって変わる場合もあります。
今回は、「大和舞」という小書がついており、シテは白い布をかけまわされた作物のなかに入り(中入リ)、中で装束・面を替えます。「大和舞」では女神の印の天冠に赤いツタを冠のようにつけて、序の舞を「神楽」で舞います。

 

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