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蛍の旅日記
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伊豆
修善寺散策
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気候もよし、修善寺の散策に行く。何故修善寺なのか、特に理由はない。
現地までの乗り継ぎを考えると、車のほうが時間のロスがすくなそうだ。
修善寺には度々遊びに行っているが、宿泊した事がなく、今回も日帰りである。どうせ修善寺まで下るのであれば、もう少し南に下って泊まりたいといつも思ってしまう。
度々訪れている修善寺であるが、これまた「修禅寺」に足を踏み入れたことがないので、是非とも立ち寄ってみたい。
修善寺の町は、駐車場が少ない。仕方ないので、朱色の橋を渡った一時間四百円の有料駐車場へ入れる。
富士五湖にもよく出かけるが、無料の駐車場が何処其処にある。また、あの箱根でさえ無料の場所がある。たとえ有料でも「いちにち五百円」それに比べると全く不自由だ。
「修禅寺」は駐車場のすぐ近くなので、まず訪ねることにする。
さすがに観光客が多いい。
ここは、平安初期、807年(大同2年)弘法大師が開山と伝わる古刹である。
修善寺温泉は「修禅寺」の門前町として栄え、地名の由来もこの寺から来ているそうだ。
境内はそれほど広くはないが、本殿はどっしりとし、如何にも古刹らしく堂々としており、この寺で鎌倉時代に起きた陰惨な出来事はとても想像が出来ない。
源頼朝の異母弟「源範頼」と嫡男「頼家」はどちらもこの寺に幽閉され、暗殺されている。
権力争いに巻き込まれた結果とはいえ、「頼家」は若干22歳である。多少、性格的に難はあったらしいが、なんとも痛ましい。
そういえば、先だって鎌倉の「鶴岡八幡宮」へ参拝に出かけた。本殿の改修工事で石段は上れなかったが、有名な「大銀杏」に出会えた。
この「大銀杏」も痛ましい現場である。
「頼家」の遺児、「公暁」が三代将軍「実朝」を暗殺した場所であり、その「公暁」もまた暗殺されてしまう。ここで由緒ある清和源氏の嫡流の血は絶えてしまったそうだ。「源義経」といい、なんと身内で足の引っ張り合いの好きな家柄であろう。
「修禅寺」を後に疲れないうちに、約五キロほど先の「奥の院」を目指す事にする。
桂川に架かる朱色の橋が湯の町の風情を高めてくれる。
「奥の院」とは、「弘法大師」が十八歳の時に修行をした場所と言われている。
ひらがなの「いろは…」の文字を刻んだ四十八の石柱が「修禅寺」の山門から閑静な田園地帯を貫き、「奥の院」まで約五キロの道筋に立てられている。道しるべとして喜ばれ、「いろは道」とも呼ばれている。
ちなみに「奥の院」は「ん」である。
右手が「いろは道」、左手は桂川沿いの竹林の遊歩道、川沿いに進もう。
竹薮など我が家の近所にもあり見慣れた風景だが、竹のアーチの下、さわさわと鳴る笹の葉の間を進むのは、別世界に入り込んだような感覚だ。
夜にはライトアップもされるらしい。さぞかし幻想的だろう。
しばらく歩いていると保育園の園児を引率した保父さんと保母さんに出会う。「こんにちは」と気さくに挨拶をしてくれた。
今は「保父」さん・「保母」さんではいけないのだそうだ。「保育師」「看護師」、冷たい響きと思うのは、時代に逆行なのだろうか。「保母」さん、「保父」さん、「看護婦」さんでは何故いけないのだろう。
ちなみに幼稚園は「教諭」、保育園は「保育師」と最近知った。そういえば、確かに先生と呼んでいた記憶がある。今は「保育師」さんと呼ぶのだろうか。何か人間関係までもギスギスしてしまうように感じる。
修善寺は秋明菊がよく似合う。
何処其処にひっそりと咲いている。白い花は我が家の庭にも咲いているが薄桃色の花は初めて見た。のどかな田園風景に、白い花と薄桃色の花が寄り添うように可憐に咲き、絵心があれば残しておきたいほどだ。
不思議なものがあちこちに立っている。壱メートルを少し大きくした石碑のようなものだ。すぐ側に三十センチくらいの板が立ててあり、「四国○番札所 ○○寺」と書いてある。何だろう?
眺めていると、ひなびた場所には不似合いの清楚な女性がその石碑を掃除に来た。お花を挿し、落ち葉を集めている。よし、聞いてみよう。「こんにちは。」
これは、「桂八十八ヶ所」というのだそうだ。昭和五年に修禅寺の38世が四国八十八ヶ所の土を持ち帰り、その土を修善寺温泉周辺の八十八ヶ所にわけて埋め、その場所に弘法大師の像と四国札所の本尊の梵字、名号をきざんだ石碑を建立したそうだ。
これを巡ると四国の霊場に等しい功徳が与えられるというありがたい石碑なのである。
修善寺は元、桂谷とも呼ばれていた頃があり、そこで「桂谷八十八ヶ所」なのである。
いまでも11月7日、8日、9日の3日間、各地から集まったお遍路さんが、約28キロの道のりを歩いて巡拝すると言う。
お遍路さんといえば、「恋娘」。どんなにわがままな娘でも吾が子は可愛い。
その娘に先立たれ、残りの人生を娘の供養に巡礼に出るのではなかったろうか。
礼を言い、別れを告げようとすると、ご自分の畑で取れた「かぼす」と「すだち」をわけて下さった。かおりに弱い私だが、柚子などのかんきつ類の香りだけは気に入っている。喜んで戴いた。
入っていた籠がピンク色のプラスチックの入れ物、なんとも女性らしい。が、何気なく足元を見てそのちぐはぐさに少し呆然。ゴムの黒長靴であった。お世話になりました。
少し疲れて来たが、目の前にコスモスの大群が現れた。田んぼの休閑地を利用してコスモスの花畑にしているのだろう。思わず歓声を上げてしまった。
わずかな風にヒラヒラと揺れるコスモス、花になって一緒に風に揺れていたい。
そんな気分にさせてくれた。湯舟川のせせらぎとコスモスに疲れを忘れた。
このあたりは湯舟地区と言い、桂川も湯舟川と名を変えるらしい。
いろは石の道案内につられて歩き続ける。「いろはにほへと…」何番目の石か?
指を折って数える。指を折らなければ数が分からない。「いろは…」は馴染みがない。
「も」だ。後三つとほっとしていると近所のおじさんが、「あと少しだよ〜」と励ましてくれた。
「す」があった。此処が「奥の院」の目印とばかりに立っている。
こつこつと歩き続け、到着した気分は最高だ。
途中、舗装された道をスイスイと追い越して行く車に羨ましさも感じたが…。
木立に囲まれ、幽玄さとは、このような雰囲気をを言うのだろうか。
右手に進むと苔むした急な石段がある。此処まで来てもまだ登るのかい、と少しげんなりする。でも登らないとそれはそれで後悔しそうだ。
なんと石段を登りきった所に、突然に滝が現れた。何かがあるとは思っていたが、まさか滝とは。意表を突かれ、しばらく見とれていた。険しい岩肌の間から湧くように流れ落ちている。
白糸の滝のように優雅でもなく、華厳の滝のような豪快さもないが、この幽玄さはいかにも修行の場にはふさわしい。
奥の院の脇に「阿字苑」という自然公園があった。白、薄桃色、濃い桃色と秋明菊が咲き誇っている。見上げると山茶花がもう咲き始めていた。
こでまりらしき花を見つけた。
「こでまり」さんだ〜、と思わず叫んでしまって廻りの人たちに不審がられる。
でも…、薄桃色のような色なので、はたしてこでまりかどうか自信がない。
家で調べてみる。どうも「ふじばかま」という花のようだ。
こでまりさんに言ってしまった。調べてからにすれば良かったと後悔しても遅い。
こでまりさんに間違いのお詫びをする。
帰りはずっと下り坂のせいか、あまり疲れも感じずに駐車場についた。有料なので早速出ることにする。どこか駐車場のあるお土産屋さんに入れよう。
すぐ横に有った。と、何か書いてある。
何々…。『三千円以上お買い上げの方、一時間無料』。せこい!!
娘たちなどへのお土産を三千円は買うのはわかっていたが、せっかく寄った客に対していいのかな〜。買う気持ちもなくなり、そのまま通り過ぎる。水をさされてしまった。
帰り道、長岡によって温泉饅頭をお土産にする。
秋のいちにち、時間を気にせずゆっくりと自分のペースで歩くのは心も体もリフレッシュに最適だ。
ゆっくりと時間が過ぎるのが心地良いのは、若い時には感じることもなかった感覚だ。
今度はどこにしようか、今から考えてしまった。
2003年 11月
追記:
前述の「桂谷八十八ヶ所巡り」が七日に始まりました。九日までの三日間、白装束のお遍路さんが二十八キロの山道を巡り、無病息災や家内安全を祈願するそうです。
お遍路さんたちは、鈴の音を響かせながら紅葉のはじまった山道を、各札所で僧侶に従って祈りをささげているそうです。(静岡新聞より)
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