梅田邦久の「千手」

この能のシテ(主人公)はその名の通り「千手の前」という女である。
それが「郢曲之舞(えいぎょくのまい)」という小書(特殊演出)になると、本来ツレ(主人公の連れ、との意味で副主人公)であるはずの平重衡(たいらのしげひら)もシテ、つまり両ジテとなる。
もともとツレの扱いの重い曲なのだが、今回はそれをまさに実感したのである。

重衡は、平家の公達ながら早々と源氏に捕らえられて鎌倉に護送されてしまった捕虜の身である。それを慰めようと頼朝は自分の寵愛する千手を差し向けるのである。重衡と美しい千手のやりとりがこの曲の見どころだと思うのだが、どちらも自分の身の上にあきらめと憂いを抱いていること、それが曲の背景を流れているのではないかと思う。
心ならずも南都を焼き討ちしてしまった重衡は出家を願い出ており、現世をあきらめている。また千手は遊女宿の娘であり、頼朝の寵を受けている身、そこにもあきらめがあるのではないだろうか。そのふたりが出会ってつかの間の情をあたためあうのである。
千手の心のこもった朗詠と舞に応えて重衡が弾く琵琶、そこにしっとりとした情感が滲み出る。ひとしきり心を慰めた宴もやがて突然の終わりを告げる。重衡を都へ送り返すことが決まったのである。舞台上で立ち尽くす千手のそばを一瞬立ち止まりそして離れていく重衡…そこにもかなしみといたわりが交差する。

梅田邦久師は名古屋能楽界の重鎮である。何度か舞台を拝見しているが、今回の重衡ほどの色気を感じたことはこれまでなかった。
本当に琵琶を持つのではない、中啓という扇をぱらりと開いて琵琶に見立てて構えるだけである。それがうっとりするほどの公達ぶりである。
また終幕、突然の出立に茫然と立ち尽くす千手のそばを静かに通り過ぎるとき一瞬歩を緩める、その微妙な間合いが千手との交情を明らかに表現する。烏帽子もなく直垂もない、罪人としての身なり、また出家を願い出た身としての袈裟、ましてや面をかけない直面(ひためん)、失礼ながらもうずいぶんの御年である。それでもそこに若々しく上品、匂いたつような平家の御曹司が憂いを秘めて立っているのである。

まったく、芸というのはおそろしいものである。それとわかる演技など何一つないのである。また役者自身の属性(若い、整った顔立ち、体型…)はまったく問題ではないのである。要は、型の中にどこまで埋没し、その型の行き着く先がどんな情感なのか、それを突き詰めているかどうかなのではないのか…。
頭で理解したように思っていても、新しい工夫をしても、そこには「時間と経験」に練られた「芸」がないとうわべだけで撫でたような、また押しつけがましいくどさになってしまう。がんじがらめに型に縛られながらどう自らの芸を開花させるのか…素晴らしいものを見たような気がした。

 
「千手」 あらすじ

重衡は罪人として鎌倉に囚われている。源平一の谷の合戦では清盛の五男として一軍を率いたのであったが捕虜となり鎌倉へ送られたのであった。その上、重衡は戦の際に南都・奈良の仏閣を焼き討ちした仏敵でもあった。
やがて美しい千手が、頼朝の遣いとして琵琶と琴をたずさえて重衡を慰めに訪れる。
重衡が願い出ていた出家も頼朝は許さず、それも南都焼き討ちの報いなのだと嘆く重衡に、千手は酒を勧め朗詠を詠い、舞を舞って慰めるのであった。
重衡も琵琶を弾き、千手もそれに合わせて琴を弾いているうちに明け方となり、重衡はまた都へ送り返されることとなってあわただしく出立していく。千手は涙ながらに見送るのであった。

小書「郢曲之舞(えいぎょくのまい)」ではツレの重衡の嘆きに重点が置かれた演出となり、シテ・千手の登場場面が変わったり一部の詞章が省略されたりする。

 

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