新設! ヒロチャン こちらも 奥 |
学生時代に古文の授業で必ず暗記をさせられるものといえば、 ゆく川の流れは絶えずしてもとのみずにあらずー 祇園精舎の鐘のこえ諸行無常の響きあり 春はあけぼのやうやうしろくなりゆく・・・ そして、 月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり・・・ その中の平泉へムスメと旅をしてきた。 もちあわせた平泉のことといえば、藤原氏ゆかりの地とか義経最期の地とか金色のお堂があるところ、たぶんだけど昭和の大修理で東京まであれらが公開されたことがあり、母と見に行ったことがあった。 あのきらびやかな仏像(取り巻く螺鈿の柱と言うのが正しいけど)そして、棺に首桶・・・一体誰だったの? もう平泉と聞いただけで、頭は・義経の首桶?だのなんだのとあらぬ事ばかり考えて、ちゃんと見ていないし、歴史すら把握していない。 それに、たしか中尊寺って 今東光 が住職してたよねぇ・・・お吟さまかぁ。 それにつけても、自分の引き出しの貧相なことに、がっくり・・・。 ま、とりあえず行ってみよう。 ネットの友達がレストハウスの五色餅は美味しかったと言っている。検索をかけて、お〜!これならいただくしかないぞ!と平泉に着くなり 意気揚々、レストハウスの食堂へ上がっていく。 閑散とした食堂(第一に観光シーズンではないのだ!)そのメニューのケースを見て・・・目が点になった。お餅のお膳ものは、1種類、個々にずんだ餅などが並ぶだけで、検索したものも教えてもらったものまでない!!! それに、店内が天ぷら油の匂いが充満している。ムスメはこうした匂いに弱い、「ひとまわりしてから、こようか?」とそれとなく、ムスメのセイであるようにして出てきてしまった! あとで本人に言ったら苦笑いしていたが、本人もここで食べたらどうしようかと思っていたらしい。 なぁ〜んだ!!がっかり!!だったらあんなおいしそうにのせるなよなぁ! メニューが全然ちがいますよ。 結局は、参道途中にあるそば屋で、きつねうどんと茶そばを食べた。 でも、それがかえってよかったかもしれない。ずっと車中の人だったし、お餅は胃にこたえるし、ムスメもこれで気を取り直し、二人でさっぱりした昼食をいただいた。 中尊寺は参道の脇には多少の雪が残っていたり、池も凍り付いていたり、お目当ての金堂は、その姿を またお堂に被われて守られている。 芭蕉がここへ来たときは、かなりの荒廃が進んでいたようだけど、瓦は木だし(何故木なのか聞きそびれたけど、もしかしたらその上にも金が施されていたのかな?)仏像もこぢんまりしているけれど、それぞれのお顔が美しいこと。螺鈿細工もみごと。 ここは藤原三代の人たちと首級が葬られている、お墓であり、仏壇だねぇなどと考えていた。 東京で見たときは、もっと大きかった印象があるのに・・・自分が小さかったせいなのか? ムスメはしきりに、まだ中に棺はあるのかと問う。 別の場所に讃衡蔵(さんこうぞう)が建てられ、ここに遺宝が納められていて、棺も首桶もここで見ることができる。 これだよ!私が見た物は!するとまたもやムスメは、「ねぇ、中に人はいるの?」だの「首って今も入っているの?」ときた。 もう!はいっているわけないでしょう! じゃ、どうしたの?とけちゃったの?どこいったの? うるさいこと。 もう、それから何年経っていると思っているの?800年は昔だよ、土に還ってるでしょ! 誰が、土にかえしたの? もう!!アタシだって知らないよ。どうなっているのでしょうね? 疑問をとかないまま帰ってきてしまいましたけど・・・。 もしもあったら、ご覧になりますか?なんて言われた日にゃ〜あ〜た!起こしては失礼にあたります、そっとしておいてあげてください、と願い出ますが・・・。 憑かれでもしたら、もっと怖いもん!!! 私ではお相手はできませんので・・・。 途中の高見台は見晴らしがいいが寒い、ダウンを着てきて良かった。 まぁ芭蕉ではないが、つはものどもがゆめのあとがあのあたりかとみていると、当時戦はどんなであったろうかと思うと、悲しい気がする。 オフシーズンにきたので、みごとに店も閉店状態でなおさらさみしいところだった。ここだけで、時間切れ。毛越寺まではとても無理。 帰りに一ノ関までのバスの時刻を確かめていたのでバス停にたつものの・・・バスがこない! これが、友達が教えてくれたことだったっけ。 あぁ新幹線の時間が・・・バス停もバスを待つのは私たちともう一人・・・時間が気になる。 反対車線を、回送の年代物のバスが通り過ぎていく。 まさか?!あのバスじゃないよね。時間がだいぶ過ぎてやってきたのは! あのバスじゃん!!年代物はバスだけじゃなくて運転手さんもそうだった。 なにはともあれ、バスへと乗り込むが、これがまたきれいとは言えない車内なのだ。掃除は行き届いているのだが・・・イスが・・・。 どうにか座れそうなイスを探し、運転手さんの後ろへ落ち着いた。 この運転手さん、頭に白い物がだいぶ混じり坊主頭に帽子をかぶっている。が、その坊主頭が寒々しい。 しかし!!「私は路線バスの運転手です!勤続30年です!モットーは無事故無違反です!」といった看板を首から下げていそうなくらい誠実そうな背筋がピンとのびた人だった。 途中信号機のない横断歩道で、自転車に乗った小さな子どもを渡らせて、バスは一ノ関へ向かっていく。 降りるときには「ありがとうございました。」と大きな声でお金を払いお礼を言って降りてしまった。 ここからが!大変!!発車まで5分しかない。新幹線のホームは在来線にはいってその奥の上! ママ!!早く!!の声にせかされ、あの月見坂よりもきつい試練が待っていたのだ! ダイエットしよ。このことを強く心に誓ったハハだった。 新幹線に間に合い仙台へ着いて降りたら、ぽつぽつと雨が落ちてきた。 仙台の駅前は車の洪水。バスといい乗用車といい、この混雑には驚いた。 ネットの友達たちは、この洪水の中で生活をしているのか?と思ってしまった。 ムスメと気のむくままアーケードをあちこちとそぞろ歩く、雨は本格的に降り出した。アーケードがありがたい。お茶もせずに町をうろつく。 女子高生はルーズソックスが多い。う〜ん、もう首都圏では見かけることが少なくなったのに・・・。風体の怖いオニイサンもいる。これはドコモ同じ。 靴屋と牛タン屋がやたらに多いアーケードだった。 アメ横のようでもあるけど、東京の吉祥寺に雰囲気は似ている。 まだまだ見ていたいが…… いつかの夜、電車を乗り継ぐために着いた仙台は七夕の最終日の夜だった。 すごい人でごった返し、つり下げられた七夕飾りは、アーケードの上から下まである巨大な飾り、それをずるずると引きちぎって人が歩いていた。 今はその雰囲気すらない町だけれど、今度はゆっくりと温泉にでも泊まりながらきたいねぇとムスメとつかの間の仙台をあとにした。
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