現場検証 番外編
中川船番所跡と 初夏の小名木川散歩
中川は、荒川・江戸川と同様、隅田川(大川)の東側を流れて東京湾(江戸湾)に流れ込む川です。 江戸時代、江戸の西側の守りが箱根の山であったのに対し、東の玄関口として、水の関所というべき役割を果たしたのが、中川船番所です。 「はやぶさ新八」シリーズでは、新八郎の友人の旗本が、この船番所の役人に任命されるということで、船番所がしばしば舞台になっていましたね。 都営地下鉄の東大島(亀戸の南側の広い地域が「大島」という町名ですが、「おおしま」ではなく「おおじま」と言います)駅で降りると、もう中川(旧中川)の川辺。というか、この東大島駅、川の上をまたがっているような形で建てられているのです。橋梁駅(?)とでもいうんでしょうか。 2003年3月に船番所の跡地に開館したこの資料館は、こじんまりしていますが、どこも新しくて綺麗。
2階は、「江戸和竿」を中心とした、釣具展示室になっています。中川は交通要路でもありましたが、釣り人でも賑わっていたようです。私には猫に小判ですが、釣りマニアにはきっと垂涎・・・
さて、雨もうまいこと上がって陽が射してきているし、これから、小名木川に沿って歩いてみようと、「番所橋」へ。 |
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小名木川は、徳川家康が江戸に入ると同時に、隅田川と中川をつなぐ形で開削したもので、一直線に流れています。ですので、川沿いの散歩といっても、単にてくてくと、まっすぐ歩くだけなのですが・・・。 北十間川・竪川・横十間川・大横川など、本所深川の水路となっている川も皆、都市開発の一環として、万治年間(17世紀半ば)に作られたものなんですね。だから皆、まっすぐの川なんだ〜。 「番所橋」の次は「丸八橋」。この橋のたもとには「大島稲荷」があり、芭蕉の奥の細道旅立ち三百年を記念して建てられた「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑があります。 「丸八橋」に続いて、「砂島橋」「進開橋」。
進開橋とクローバー橋の間には、越中島線という貨物専用線が横切っており、2000年までは「小名木川駅」という貨物駅もあったそうです。現在は、JR東日本から江東区が用地を借り受ける形で、北砂緑道公園の一部になっていると小さな表示が出ていました。 また、江戸時代にはこのあたり、「釜屋の渡し」と言われる渡し舟があったそうです。釜屋六右衛門・七右衛門という鋳物師の鋳造所があったことからその名がついたそうです。 中川から隅田川までの間、小名木川は2つの川と交差します。 横十間川と交差する手前の南側に、江東区のスポーツ会館があります。昭和61年の三原山大噴火の時、このスポーツ会館が避難所として、千名以上の島民を受け入れました。 小名木川と横十間川が交差しているところは、十文字にクロスした形の「クローバー橋」がかかっています。 この周辺は、横十間川が小名木川の南方でクロスしている仙台堀川周辺まで含めて、水辺散歩の出来る親水公園となっています。クローバー橋付近は、水上アスレチックなどの施設もあり、橋の上で川風に吹かれながら、午後のひとときを楽しんでいる人々もいました。 横十間川を越えて最初の橋、「小名木川橋」は、本所四ツ目の四ツ目通り上にあり、橋のたもとには、五本松跡・五百羅漢道標の碑があります。上のレリーフには、「小奈木川」という表記がされています。 続く「小松橋」「新扇橋」のあたりは、残念ながら川辺を歩けないので、小名木川の北側である猿江の町中を歩いていくと、大横川にかかる「猿江橋」に出ます。 猿江橋を渡って、左に折れて行くと、大横川と小名木川との交差地点に出ます。ここにも猿江の船番所というのがあったらしいのですが、よくわかりませんでした。 さて、あと一駅ぶんくらいの歩きで、隅田川に着くはず。
いよいよ、麻生家のご近所にやってきました。高橋です。 小名木川水門 いよいよ、小名木川で一番隅田川寄りにある「万年橋」。 そして、左手に、隅田川にかかる、青い清洲橋が見えてきます。 このあたりは芭蕉ゾーンで、万年橋にも、「古池や」の句があります。 無事に、番所跡から隅田川まで、小名木川散歩を楽しむことができましたが、やっぱり船の上から、両岸を見渡して進んでこそ、お江戸当時の水路の街の気分が味わえるというもの。 ヒロチャンのアルバムには、高橋の船着場からクローバー橋までの小名木川、さらに隅田川・神田川・日本橋川の、詳しいお江戸川巡りレポートが掲載されています。ぜひここでバーチャル船旅をご堪能くださいませ〜 |