現場検証 亀戸天神・梅屋敷跡
― 梅の咲く日 ―
|
||
亀戸天神と鷽替え 元々、鷽(うそ)という鳥は、害虫を駆除し幸運を招くとされていました。 |
||
天満宮の総元締め、太宰府天満宮では、1月7日の夜に鷽替え神事が行われ、「替えましょ、替えましょ」の掛け声のもと、暗闇の中で手にした木彫の鷽をお互いに交換するのだそうです。 これによって、知らず知らずのうちについたすべての嘘を天神さまの誠心に替えると共に、これまでの悪いことを嘘にして、今年の吉に取り替えるという意味があるそうです。
|
||
広重名所江戸百景 |
||
子供たちの書き初めが展示されたという絵馬堂は今はありませんが、本堂の脇には、たくさんの絵馬がかかっていました。 | ||
広重の絵にあるように、亀戸天神は藤も有名で、梅が終わると間もなく、境内にぎっしりと並ぶ藤棚が見事な房をつけ、朝早くからカメラを持った人々が集まります。 | ||
|
||
|
||
亀戸の名主 亀戸と書いて「かめと」ではなく、「かめいど」と読みますが、元々は亀井戸と書いたそうです。 実はこの亀戸地区、東京副都心の一つでもあるんですね。 天神橋のたもとに住む名主の勝田次郎助さんですが、同じ「雨月」収録の「春の鬼」にも出てきますね。 |
||
|
||
梅屋敷 この素晴らしい構図の梅の絵は、広重の作品の中でも有名なもので、ゴッホがこの絵に刺激を受け、油絵で模写したことも知られています。 |
||
広重名所江戸百景「亀戸梅屋舗」 |
元々この土地は、本所の伊勢屋彦右衛門という商人の別荘で、庭に多くの梅が植えられていましたが、本編の説明に出てくる喜右衛門(彦右衛門の何代か後)が、本格的に梅栽培を始めたということです。 八代将軍吉宗が預けた秘蔵の梅と言われる臥竜梅は、木の丈はそれほど高くないが、枝が四方に張り出してあたかも竜が臥すに似た形として、水戸光圀が命名したそうです。 しかし残念ながら、明治43年の洪水により、梅屋敷の梅は大きな打撃を受けて、臥龍梅も枯れてしまいました。 往時の賑わいを偲んで、臥竜梅のあったとされる所に碑が建てられています。 |
|
文化年間に、仙台出身の骨董商人、佐原鞠塢(きくう)という人が、向島に梅園を開園し、亀戸の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれるようになりました。 絵師酒井抱一や狂歌師大田南畝など、文人墨客のサロンとして利用され、抱一により「百花園」と命名されました。これが現在の向島百花園で、こちらは今も四季折々の花で賑わい、向島七福神の一つ(福禄寿)としても知られています。 |
||
|
||
地蔵堂ランニングコース かわせみ当時の五ツ目通りは、亀戸天神前の通りと堅川とを結ぶ短い道ですが、現在では、首都環状5号線にあたる幅広い明治通りの一部になり、両側を探しながら歩いてみましたが、地蔵堂などのある余地は、残念ながらなさそうです。 JR・東武の亀戸駅があるのも、この五ツ目通りで、当時の小梅村と柳島村の境あたりになるのではないかと思いますが、駅の北側の通り沿いは、「亀戸十三間通り商店街」という江東区最大の商店街になっています。 |
||
商店街から亀戸駅を抜けて、南へ向っていくと、堅川にかかる五の橋(五ツ目橋)に出ます。 もっとも、江戸時代には五ツ目橋は無く、五ツ目の渡しで、舟で渡らなければなりませんでした。 従って、五ツ目通りで「地蔵堂はここのじゃなくて、大島橋のほうだ!」という事になったとき、五ツ目橋があれば、それを渡ってまっすぐに小名木川に向って走っていき、小名木川に突き当たれば右折すればいいのですが、ここに橋がないとなると、夜だしのんびり舟を待ってるわけはないので、ご苦労さんなことに四ツ目橋まで走って橋を渡り、猿江の材木蔵、今の恩賜公園の脇をぐるっと回って来なけりゃならないんですね。えらい遠回りです。 大島橋(写真右)の位置は、今とちょっとずれており、現在、十文字のクローバー橋(写真左)のある、横十間川と小名木川のクロスする所が、当時の大島橋のあった所です。 |
||
そして、その大島橋のたもとには、今も地蔵堂が! 「釜屋堀子育て地蔵堂」と名付けられて、お地蔵さんだけでなく、ちゃんと地蔵堂もあります。御堂というよりはちょっと物置ふうに見える(笑)かもしれませんが、しっかりお地蔵さんを雨風から守ってくれているようです。 五ツ目通りの地蔵堂のほうは無くなってしまったようですが、こちらはありました。こういうのが見つかると嬉しいですね〜 五ツ目通りのほうも、御堂はなくなっても、お地蔵さんはひっそりと、どこかのお寺に移されていたりするのではないかと思うのですが・・・ |
||
このあたり、昔の鋳物工場があった所なんですね。 寛永期に近江から出てきた、釜屋六右衛門・釜屋七右衛門(通称釜六・釜七)が、鋳物業を手広く行い、明治大正期まで、鍋釜のような日用品から、梵鐘・仏像などまで製造していたということです。 |
※引用は、文春文庫「雨月」1995年10月10日第1刷からです
<これまでの現場検証リンクに関するお願い> サーバー移転により「はいくりんぐ」中にこれまで貼っていただいたリンクを お手数ですが、「見当たりません」画面の上のURLの、ハイフンからjpまでの部分を、次のように打ち変えていただくか
または、ストファのトップページより「現場検証目次」でお探し下さい |