現場検証 「清姫稲荷」「根岸の里」

 ― 清姫おりょう ―

「魚屋の辰さんに聞いたんですけど、神田連雀町の祈祷師さんの御札はよく効くっていうもんですからね」
「雷よけの祈祷師なんてのがいるのか」
「何でもいいんですよ。厄よけ、方よけ、家内安全、商売繁盛、こっちのお願いするのを、ちゃんと御札にしてくれるんです」


今回ものっけから「丸投げ」で申し訳ないんですが、すでにきっちりまとまっているサイトがあれば、そちらのほうをご覧頂いたほうがずっと早いというわけで、「神田連雀町」については、メジャーな東京現場検証サイトとして以前からよくお世話になっている「東京紅團」の中から、「
池波正太郎と神田連雀町を歩く」をご紹介します。
東京の西側、三鷹市にも、「上連雀・下連雀」という町があるのですが、そのわけも初めてこれで知りました。

もう一つは、明治17年より神田連雀町に店を構える老舗蕎麦店「神田まつや」さんのHPで、ここには写真もそろっています。
まつやさんは池波正太郎氏もご贔屓の店だったそうで、「・・・歩く」サイトのほうにも紹介されております。

 

 
路地の突き当りに銀杏の木があって、その脇に御堂があった。清姫稲荷と書いた札が柱に打ちつけてある。

さて、物語では、この神田連雀町に「清姫稲荷」というのがあったことになっていますが、「清姫稲荷」というのは珍しいですよねぇ。
日本三大稲荷というのは諸説あるようですが、一般には、伏見稲荷(京都)・豊川稲荷(愛知)・笠間稲荷(茨城)だそうで、全国の西・中央・東とバランスよく選ばれていますね(西日本では、佐賀の「祐徳稲荷」のほうが笠間稲荷よりも知名度が高いかもしれません)。
「江戸のそこかしこに見られるもの」として「火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」と言われるくらい、お稲荷さんじたいはポピュラーなものです。

しかし、「清姫稲荷」で検索してみると、ヒットするのは、あれもこれも「御宿かわせみ」の「清姫稲荷」であって、改めてこのシリーズの人気を感じさせられるのですが、実際に祀られている清姫稲荷というのは謎なんですね。
そもそも、いくら日本人が何でも神様にしてしまう習性があるといっても、清姫というのは現在でいえばストーカー殺人の加害者、それも被害者のほうにはほとんど落ち度は考えられず、情状酌量の余地もなさそうで、こういう所に家内安全や子供の成長をお祈りするのも何だか・・・お吉さんは雷よけの御札を貰ってきたようですが、清姫に祈ってもらったら、雷がますますひどくなるような気がしません?(笑)

ともかくも、検索の結果、今も存在する「清姫稲荷」としてようやく見つかったのは2件。残念ながら、神田ではなく、道成寺の地元和歌山でもありません。
東京の西側、高円寺と池尻にそれぞれ1ヵ所ずつ、神社の境内末社となっているようで、幸い我が家からはどちらも非常に行きやすい場所。ということで早速行ってまいりました。


池尻稲荷の表入り口と本堂 本堂向かって左に清姫稲荷(↓)がある


池尻稲荷裏門 石碑は「旧大山道」

 

目黒川が、高速道路の下を走る246国道と交差する所が池尻大橋ですが、ここのすぐそばに、国道に面して大きな鳥居のあるのが池尻稲荷です。
実は私、このお稲荷さんは、それと知らずに裏門のほうを時々通っておりまして、「昔の子供たちが遊ぶ像と旧大山道の碑があるお宮さん」と思っていたのですが、今回、表門から入って一巡し、裏から出てみて「な〜んだ、これが池尻稲荷だったのか?」と・・・(この不信心者め〜〜)

この池尻稲荷は明暦年間に作られ、土地の産土神として、また大山参りの人々の道中無事祈願で賑わったそうで、今も通りすがりにお参りしていく人の姿がちらほらとあります。
清姫稲荷は、本堂の隣にちんまりと鎮座しており、専用の(?)鳥居もあります。
しかし、宮司さんにも聞いてみましたが、「たぶん池尻稲荷の出来た時から清姫稲荷もあると思われるけれど、由来はわからない」んだそうです。三軒茶屋の繁華街にも近いので、芸者さんたちが芸事の上達を願って参詣に来る、ということですが・・・技芸上達の御札もエンピツ2本つきで売っていました。

もう一つの高円寺のほうは、天照大神を御祭神とする天祖神社で、環状七号線と青梅街道が交差する高円寺陸橋の近く、杉並第三小学校の裏手にあります。ここは池尻稲荷よりもこじんまりとしており、宮司さんも常駐していないようですが、新編武蔵風土記稿という文化文政時代に編集された地誌に11世紀頃の創建の模様が記されているということで、なかなか由緒あるお宮です。


天祖神社 本堂 


 境内末社清姫稲荷

この境内末社として、秩父の三峰神社と、清姫稲荷の2社があります。
誰もいないので、近々とのぞきこみ眺め回します。

やはり小さな狐の像などがあるけれど、とくに面白いものもない・・・と思って見回すと、下の石碑の裏に、「神田」の文字を発見。
「四谷新宿(元神田お玉が池)」と読めます。
そしてその横に名前があり、「高橋」さんという人が「皇紀二千六百年」にこの石碑を建てたようなのですが、皇紀二千六百年といえば昭和15年。
もしかして、それまで神田にあった清姫稲荷が、その時にここに移転した、ということならピッタリなのですが・・・
でも神田お玉が池は岩本町のほうで、連雀町と遠くはないですが、ちょっとずれていますよね。それに「四谷新宿」は神田とはかなり離れているし、どういうことなんでしょうか。

平岩先生が「かわせみ」の中にお書きになっている寺社は、ほとんどが実在のもので、神田連雀町にも、昔、実際に清姫稲荷があった可能性は高いですが(あってほしい!)、あったとしても、絵図に載るほど大きなものではなかったんでしょうね。
今後、講演会などで作者の「かわせみ裏話」の機会が設けられ、清姫稲荷の謎が解明されることを願います。

 
「かわせみ」に滞在している客が、根岸の円光寺の藤を見物に行って、それは見事だったと話したのがきっかけで、珍しくるいの気持が動いた。
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五行松の間の小道を行くと石の塔があって宝鏡山円光寺と刻まれている。
臨済宗妙心寺派の寺で、元禄十二年の創建であった。
本堂は茅葺きの大屋根で境内は広い。
参詣をすませて、同じく茅葺き屋根の方丈へ向って行くと枝折り戸があった。そこを入ると松の木の間から一面の藤棚が見渡せる。

JR山手線の上野から鶯谷にかけて、その内側(線路の西側)には、寛永寺・各種博物館美術館・東京芸術大学・不忍池などのある上野のお山が広がっていますが、線路の外側が、いわゆる根岸の里と呼ばれ、閑静な郊外として江戸の人々に愛された地域です。大店の寮とか隠居所、今でいう隠れ家レストランのようなものが好んで作られた所ですよね。
この地域を東に進み、昭和通り(地下鉄入谷駅)を越すと、以前にご紹介した吉原(台東区千束)があり、また北方には、これも閑静な日暮しの里である日暮里(にっぽり)があります。神林家の菩提寺のある所ですね。

円光寺は、JR鶯谷駅から歩いてすぐですが、境内は当時に比べるとだいぶ縮小されているようです。
残念ながら、一般公開はされていないようで門が閉まっていますが、外からのぞくと、立派な藤棚は今もあります。少し芽が伸びてはいましたが、まだ花の時期には早すぎるようで残念・・・盛りの頃はさぞ綺麗でしょうね〜。


円光寺に行く途中通った「五行松」(現在は御行松と記載され「おぎょう」と読ませるようです)も忘れるわけにはいきません。何たって「松」ですから(笑)
この御行の松は、「白萩屋敷」の近くでもあり、ご本家7周年記念「私の見つけたかわせみ」で小式部さんも紹介してくださってましたね。

円光寺から北東のほうに少し行くと「御行松不動尊」。大川端から陸路だと私のように円光寺のほうが先ではないかと思いますが、おるいさん達は千住まで船で行って、そこから今でいうと地下鉄日比谷線の南千住⇒三ノ輪⇒入谷という経路で来たのですね。

当時の絵図ではなぜ「五行松」だったのかわかりませんが、「御行松」の謂れとしては、この松の下で、寛永寺門主輪王寺宮が行法を修したという説があるようです。
また、当時このあたりが「時雨岡」と呼ばれていたことから、「時雨の松」とも呼ばれたとか。

いずれにしても、根岸の大松として有名な松で、大正年間に天然記念物に指定されましたが、残念ながら昭和初期に枯死し、現在は三代目だそうです。初代の松は根っこが祀られています。


なぜかここにも狸塚(笑)
「薄緑お行の松は霞みけり」という子規の句碑と一緒に

そして根岸といえば、やはり何といってもあの正岡くん、じゃなかった正岡子規が庵をむすび、生涯を閉じた場所です。この家はもともと、加賀藩前田家下屋敷の侍長屋だったものだそうで、子規は明治27年、故郷の松山から母と妹を呼び寄せてここを住まいとしました。
子規の没後も家族と門人が守ってきた子規庵も、戦災で焼失してしまいましたが、数年後、ほぼ元の形に再建され、今も保存会の皆さんにより、子規を愛する人々の拠点として、大切に管理されています。資料館として公開されている他、句会なども出来ます。

先ほどの御行松不動尊をはじめ、根岸の町中、いたる所に子規の句碑が見られます。

鶯谷駅から円光寺に向かう途中の尾竹橋通りという通りに面して根岸小学校が建っていますが、その門前にも「雀より鶯多き根岸哉」 の句碑が。

「春の寺」にも、東吾さん達が日暮里で鶯の声を聞くシーンがありますが、当時、根岸や日暮里の春は、鶯の声がこだましていたのでしょうね。


林家三平一家の住まいとしても有名な根岸
「ねぎし三平堂」という「三平博物館」になっている

※引用は、文春文庫「御宿かわせみ(22)清姫おりょう」1999年11月10日第1刷からです

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