現場検証 二本榎(英一蝶の墓)と麻布・六本木
― 浅妻船さわぎ ―
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朝妻筑摩と鍋冠祭 今回のお話は「虹のおもかげ」の麻太郎蝉取りルートや「花の雨」と共通の所が多いですが、蝉取りルートにあった松平大和守藩邸、現在のホテルオークラ附属美術館である「大倉集古館」のショップで、英一蝶の絵葉書セットを見つけました。 浅妻船の「浅妻」は、「朝妻」と書かれることも多いですが、滋賀県米原市に「朝妻筑摩」という地名があります。 湖畔に筑摩神社という古い神社があるのですが、この神社には「鍋冠祭」という珍しいお祭り(例年5月3日)があります。地元の少女たちが、狩衣・袴姿で、頭に鍋をかぶって踊るのだそうです。
英一蝶の墓は、品川駅から泉岳寺へ向う途上の、高輪の承教寺というお寺にあります。 承教寺の境内に、塔頭の一つのような感じで「妙福寺」というお寺(表札に妙福寺と書いてあるだけで、見かけはごく普通の住宅)があります。 |
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広重名所江戸百景「広尾ふる川」 |
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広尾ふる川と麻布十番 古川の別名は渋谷川で、水に鉄分が含まれていて赤茶色(渋色)をしているためにそう呼ばれたという説もあるそうです。
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一の橋と二の橋の間に、「災害時用ボート」を収納してある箱が置いてあります(←) 本文にもあるように、一の橋の周辺が「麻布十番」で、現在も町名として残っています。 →は十番稲荷神社。これは新しい社殿ですが、建て替えられる前の鳥居は、喜劇王エノケンの奉納によるものだったそうです。 |
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節分シーズンにはよくタウン誌のグラビアを飾る麻布十番の「豆源」(好い名前♪)では、揚げ餅の塩おかきを店内で作っており、揚げたてをその場で買って食べることが出来ます。
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東吾さんたちが築地の本願寺から、虎ノ門・赤坂を経由して六本木まで歩いたルートを追っかけてみましょう。 本願寺前の築地四丁目の交差点から、今なら晴海通りをまっすぐ進んだほうが早いですが、東吾さんたちと同じルートで行くため、新大橋通りをワンブロック隅田川下流へ進んで右折、昔の木挽橋へつながる道(現在みゆき通り)に出ます。 「堀沿い」の堀が、今のこの昭和通りになっているわけで、左折して銀座五丁目・六丁目・七丁目と汐留へ向って行きます。 汐留橋のあった所は、今では高速道路と大きな歩道橋の下をひっきりなしに車が走っていますが、昔も多くの人や荷車が行き交っていたのでしょう。 |
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高速道路をくぐるとすぐにJR新橋駅になります。駅の銀座口から日比谷口へ抜けると駅前広場に機関車が鎮座ましましています。新橋といえばやはり「汽笛一声」の鉄道唱歌ですね。 地下鉄メトロ銀座線が下を走る外堀通りを、新橋から虎ノ門へと歩き、桜田通りを渡ります。 |
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さらに赤坂見附へ向って行くと、日枝神社が見えてきます。 隣に山王パークタワーが出来て、そびえる鳥居もちょっと影が薄くなったように見える日枝神社ですが、階段の横にエスカレーターを設置するなど頑張っています。 日枝神社の前で左折し、赤坂通りを乃木坂のほうへ向います。この通りの下を走っているのは、メトロの千代田線です。 |
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赤坂今井町の市兵衛の妾宅が、妙福寺という寺の裏側だということで、妙福寺を探したのですが見つかりません。 「江戸東京散歩」の地図にはちゃんと載っているお寺なのですが、このあたり赤坂サカスや六本木ミッドタウンとして再開発され、すっかり様変わりしてしまっています。 その妙福寺が、上に記したように、英一蝶の墓のある高輪のお寺の中になぜか存在していたのは、全く無関係の偶然かもしれませんが、何か縁を感じてしまいました。 六本木竜土町は、ミッドタウンと国立新美術館に挟まれた三角形の地域で、再開発の影響を受けずに残ったエアポケットのような所です。 国立新美術館関係者行きつけのお食事処もいろいろ?竜土町 天祖神社「竜土神明宮」、今の氏子代表?はテレビ朝日 |
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おまけ 世田谷・大吉寺(伊勢貞丈の墓所)
月に2〜3回は訪れる世田谷区中央図書館とも、すぐ近くなのですが、まさかこんな所に、「かわせみ」ゆかりのスポットがあったなんて全く予想してませんでした(^O^) |
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境内に「浅井長政由縁の大吉寺山の石」という大石が置いてあるのですが、近江の浅井氏ゆかりの大吉寺といえば、由来が天智天皇の御代にさかのぼるという名刹ですよね。 伊勢貞丈 ( 1718 - 1784 ) は、江戸中期の幕臣で、中世以来の武家の制度・礼式など武家故実の第一人者とされた人です。 ただ、この貞丈先生、享保の生まれで天明時代に亡くなっている方です。 |
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※引用は、文春文庫「十三歳の仲人 」2007年4月10日第1刷からです