現場検証 「深川閻魔堂」

 ― 秋 の 蛍 ―


長七が立ち止ったのは、永代橋の北の下の橋を東へ、油堀を突き当った、俗に三角屋敷と呼ばれている町の近くであった。

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平野町へ出る。この町は、東西が二十三間、南北が三間の片側町であった。寺がある。

油堀

「江戸東京散歩」の「本所深川絵図」(文久二年)を見ると、仙台堀と大横川の中間にも川があり、富岡八幡宮の北側を流れています。これが「油堀」だったようです。
仙台堀と大横川は今でもありますが、こちらは現在、首都高速9号深川線が上を走る通りになっていて、川はありません。

高速道路の下に「油堀川公園」という看板が出ていますが、公園というよりは、単なるガード下の空き地で、ホームレスの拠点となっています(>_<)

8月15日は富岡八幡宮の例大祭ですが、終戦の日でもあります。
東京の下町、とくにこのあたりは空襲の被害者の多かった所で、ところどころにひっそりと戦災者の慰霊碑も見られます。

三角屋敷

「三角屋敷」というと、三角形の屋敷があったのかなと思いますが、建物ではなく地名のようです。
油堀川がここで蛇行しているため、三角州が出来たのでしょうか。
「本所深川絵図」にも、「丸太ハシ」の所に、毛すじのような小さな文字で「三角ヤシキ」とあります。
現在は、児童公園になっていますが、確かに土地の形は三角です。

この「深川三角屋敷」は、鶴屋南北の「四谷怪談」の場面の一つに使われており、盥の中から腕がニューッと出る、という怖〜い場面だそうです。

平野町

ここで「東西が二十三間、南北が三間の片側町」と書かれている町は、三角屋敷の所から、仙台堀にかかる海辺橋の所までの、狭い区画のことのようで、絵図でも確かに「万年町」に両側をはさまれた「平野町」があります。
この部分の現在の住所は深川一丁目ですが、仙台堀の向こう側には、もっと広い「平野町」が、西平野町・東平野町に分かれて存在しており、ここは現在でも「平野」の名が残っています。

「寺がある」というのは、「福の湯」の時にも書きましたが、「鬼女の花摘み」に出てきた「仙台堀沿いの寺だらけの所」ですね。

閻魔堂のある法乗院は、「福の湯」でご紹介した心行寺の隣になります。(「本所深川絵図」では、隣の隣になるのですが、現在は区画が少し変わったようにみえます)


法乗院閻魔堂

近くの法乗院という寺の中に閻魔堂があるところから、閻魔堂橋とも呼ばれている。長七はゆっくり歩いて閻魔堂へ近づいた。しきりとあたりを見廻してから、堂の扉をあけて、なかへ入った。

法乗院は、清澄通りと葛西橋通りの交差した所にありますが、この葛西橋通りも、当時は掘割であったようです。

この後、嘉助が「閻魔堂をやや下に見下せる草むらへ上って行った」とありますが、掘割の脇が土手のように小高くなっており、そこが草むらになっていたのでしょうか。
そして、このあたりから、「海が黒く」見えて、白波の立つのまでわかったようですが、現在ではそうした情景は想像すべくもありません。

「閻魔堂」というのは、小石川の「こんにゃく閻魔」などを始め、江戸/東京でもおなじみのものですが、「深川法乗院の閻魔堂」は、平成の現在でも非常な人気で(規模的にはそんなに大きくないですが)、「ハイテク閻魔」として有名です。
法乗院自体のサイトやいろんなブログで、同じ写真が紹介されていると思いますが、いちおうここにも入れておきます。

何がハイテクかというと、この閻魔大王の前にある、金の王冠のような多数の投げ入れ口のある巨大なお賽銭箱に寄進すると、自動的に厳かな効果音が響き、閻魔様のお声?が聞けるようになっているのです。
お賽銭は高額である必要はなく、私は5円玉を入れましたが、たぶん1円でも大丈夫だと思います(^^ゞ

ただ、願い事の種類別に投げ入れ口がいっぱいあるので、つい、次から次と、いろんな口に硬貨を入れてしまうんですよね。うまいこと考えられていると思います。
定番の「家内安全」「交通安全」「夫婦円満」「合格祈願」などのほか、「ぼけ封じ」「いじめ除け」などもあるのが、トレンディというか・・・

しかし、流れてくる説教が、いつもごく一般的な内容で、あまりかわりばえしないのがちょっと残念。
せっかくゴージャスな種類別の投げ入れ口があるので、そのテーマとリンクした、そして内容的にもその時々のニュースなどに合わせて更新された説教が流れるようになっていれば(そんなに難しい仕掛けじゃないと思うけど)、もっと人気が出るのでは?

通りに面した法乗院の入り口、左が閻魔堂、右が本堂です。本堂は、ご本尊大日如来が祀られていますが、これもかなり派手・・・


閻魔堂橋は、掘割が埋め立てられたのに従って、今はなくなってしまいましたが、河竹黙阿弥「髪結新三」に、「深川閻魔堂橋の場」というのがあります。
小悪党の髪結新三が、相手を殺そうとして、自分がやられてしまうという、さわりのシーンで、
「ちょうど所も寺町に、娑婆と冥土の分かれ道、その身の罪も深川に、橋の名さえも閻魔堂・・・」
という名セリフが聞かせどころです。

先にご紹介した、元「三角屋敷」の児童公園に、この場のことが絵に描かれて説明されています。この絵の新三は、先代の勘三郎だとか。
もっとも、これが描かれているのは、公園のトイレの壁なんですが・・・後ろのしきりが「個室」です(^^ゞ


祭を一週間後にひかえて、深川の街は酷暑も何のその、浮き立っているようでした。

深川散歩の〆は、やっぱり門前仲町の伊勢屋さん。
デカ串団子の「桃太郎セット」が¥370のままなのを確認、でもこの季節は団子よりもカキ氷!
イチゴでもメロンでも(ブルーハワイ?なんじゃそりゃ)でもなく透明のシロップだけをかけた「氷水(こおりすい)」が私の好みなんですが、最近、なかなかこれを置いている所がなくて・・・しかし、さすが深川、しっかりメニューに入っているのが嬉しいです。

※引用は、文春文庫「御宿かわせみ」1993年11月10日第28刷からです

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