現場検証 番外編 墨堤の桜2010
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桜が咲く前にぐっと暖かくなったと思うと、咲き始めてから「花冷え」になるというのは例年のことですが、それにしても今年の春は、冬に戻ってしまったような寒さがいつまでも続きましたね。まぁそのおかげで、振り返ってみれば、かなりの日にちを散らずに持ちこたえてくれたことになりますが・・・ 江戸の昔も今も、春の隅田川は花見客でいっぱい。「かわせみ」にも、初期の作品から明治編まで、「向島の花見」はことあるごとに触れられています。しかし、おるいさん自身が花見に出かけたのは、ざっと見た限りでは、「犬張子の謎」だけのようで、やはり客商売となると、なかなか留守にするのは難しいとみえます。 もと「小梅の水戸屋敷」といわれた向島の隅田公園は、「残月」の現場検証でご紹介しましたが、初秋のあの時は静かな公園でしたが、花時は平日でも大賑わい。「桜まつり」の提灯や屋台もたくさん出ています。 |
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公園の一画にある牛島神社は、勝海舟が若き日にここの境内で剣術の稽古をしたといってNHK「龍馬伝」紀行にも登場しましたね。 |
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それでも、吾妻橋から言問橋・桜橋と、上流へ向って行くと、人混みもだんだん少なくなってきます。 |
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今年の向島の花見、いつもにも増して賑わっているのは、スカイツリーのおかげです。 まだ建設途中ではありますが、先日、東京タワーの高さを越え、都民の話題となりました。 |
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「残月」のときに、業平橋で撮った写真にもチラっと写っていますが、あの時は、まだずっと下の方しか出来てなかったんですよね。 来年、完成した高さだと、あまりにも高くなりすぎて桜と一緒に写すのが難しい。花の中にスカイツリーを写せるのは今年しかない!というので、皆カメラを向けています。 完成したツリーの写真なら、来年でも再来年でも撮れますが、建設中の写真は、「今日この時の一枚だけ」というわけで、聞くところによると、毎日撮影してブログで工事の進行状況を中継している「スカイツリーおたく」も多数いるとか。 |
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「はいくりんぐ」の現場検証で「かわせみ」所縁の街を歩き始める前は、東京といっても生まれ育った西側しか知らず、浅草も本所・深川あたりも、全くといってよいほど知らなかったのです。 その後結婚してからは、東京の東半分を飛び越えて千葉県に20年ほど住むことになり、会社勤務の間は都心には出ていたものの、駅とビル街だけが都心だと思っており、その場所の江戸の昔など考えたこともありませんでした。「かわせみ」を読み始めてからも、八丁堀くらいは駅名で知っていたものの、どの物語がどの場所を舞台にしていたのかということについては、ほとんど意識も記憶もしていませんでした。 「はいくりんぐ」に参加するようになって、「千手観音の謎」が御題になったとき、たまたま、物語に出てくる「菊の被綿」が、我が家から歩いていける距離の大宮八幡宮で実物を見られることを知り、写真を送ったのがきっかけで、現場検証が病みつきになるとは、まことに「お釈迦様でも気のつくめぇ」成り行きだったわけですが・・・ 東京の街を歩いてみて気付いたのは、街が大きく変わった節目がいくつかあること。一つは関東大震災後の「帝都復興計画」で、隅田川の橋々も隅田公園もこの一環だったのですね。それからもちろん戦災、そして焼け野原となった東京の復興の象徴となった東京オリンピック。古い写真を見ると、東京オリンピックを境にして街の風景が大幅に変わったように感じます。そして、その後はバブルとその崩壊ということになるでしょうか・・・ |
こうして見ると、明治維新というのは、政治や社会の仕組みはガラリと変わったけれども、街の風景はそれほど変わりはなかったといえるのかもしれません。西郷さんと勝さんのおかげということでしょうか。 江戸が東京となり、江戸湾が東京湾となっても、向島の花見を楽しむ人々は変わらなかったのですね。そしてその心情は、21世紀の今も、昔のままに続いているのだと思います。 <おまけ> |